こちらの記事は試験運用として書いているものです。(なら、非公開でやればいいやん。に、なりますが、公開しての実験も行うためあえて公開状態としております。そのため、いきなり記事の内容とかが変わる場合があります。予めご了承ください。)
今日は、家事を手伝った。ほんの些細なことだけれど、誰かの負担が少しでも軽くなったなら、それだけで意味がある気がする。
いわゆる「徳を積む」って、特別なことをしなきゃいけないわけじゃないのかもしれない。むしろ、日々の暮らしの中に、静かに転がっているのかも。探そうと思えば、徳をためる機会って、案外そこら中にあるのかもしれないな。(2025.11.11)
今日は、いくつかの小さな行動をした。道を譲ること。登山道保全の募金をすること。家族のための買い出し。
どれも特別なことじゃない。でも、終わった後に不思議と気持ちが軽い。
無理なくできる、負担を感じない方法。それが、長く続けられる秘訣なのかもしれない。
一説によると、人には「誰かの役に立ちたい」という欲求があるという。もしそれが本当なら、日常の小さな選択は、自分自身を満たす行為でもあるのかもしれない。やらなきゃいけないことじゃない。やりたいと思えることを、自然に。そんな積み重ねが、何かを変えていくのかもしれない。(2025.11.12)
今日も家事を手伝い、道を譲った。
田舎の道は狭い。どちらかが譲らないと進めない時がある。余裕がある時は、譲ることは簡単だ。
でも、もし自分に余裕がなかったら?そんな時は、無理に外に優しさを向けなくてもいいのかもしれない。
その優しさを、自分自身に向けてみる。
「今日はしんどいから、ゆっくりしよう」
「無理しなくていい」
そうやって自分を満たすことも、長い目で見れば、誰かのためになる選択なのかもしれない。
余裕がある時は外へ。余裕がない時は内へ。
どちらも大切な、優しさの形だと思う。(2025.11.13)
今日も家事を手伝った。そうしたら、少し時間ができた。ふと気づく。最近、ちゃんと休めていなかったかもしれない。誰かの役に立つことも大切だけれど、自分が疲れ切ってしまっては、続かない。休むことは、サボることじゃない。次に動くための、大切な準備だ。(2025.11.14)
今日も家事を手伝った。
でも、正直なところ、自分自身がめいっぱいだった。そんな時は無理をしなくていい。 自分に対して、親切にする。
「よく頑張ってるね」 「今日はこれで十分だよ」
そうやって自分を労ることも、 大切な選択なのだと思う。
誰かのために動くことは素晴らしい。 でも、自分が空っぽになってしまっては意味がない。めいっぱいの時は、自分を最優先に。 それは、わがままじゃなくて、 長く優しくあり続けるための知恵なのかもしれない。(2025.11.15)
今日も家事を手伝った。
ふと、エアビーで泊まるときに毎回、掃除をする人の話を思い出した。ある程度は掃除されているはずなのに、自分でもう一度掃除をするのだという。
「自分が気分よくいるため」
その理由がシンプルで、納得できた。
掃除をしていれば、自然といろいろな設備に触れることになる。部屋のことがよくわかる。そして、誰かが掃除してくれたことにも気づく。自分のための行動が、結果的に他者への感謝や理解にもつながる。それは、とても自然な流れなのかもしれない。(2025.11.16)